今回は小藤次の妻の「おりょう」の家族と付き合いを深めるところが中心の感じで、そのほかはいつものメンバーとの交流のホームドラマの1シーンのような感じだ。駿太郎は12歳になり、剣の腕も更に上がり、又スリを捕まえる。その褒美に小藤次家族が南町奉行から直接褒美をもらう。お夕ちゃんも飾り職人としての腕を上げる。旧森藩の池端用人は人間的に益々成長し、小藤次とのつなぎ役となり、旧森藩との親交も順調に深まる。久慈屋の主、昌右衛門の伊勢参りに同行することが決まり、次回の下準備もできたというところ。今回、おりょうの兄が初めて登場する。靖之丞と言う兄は、おりょうと昔から仲が悪く、自分の不心得から養子先を離縁されたのを、小藤次達に恨みを向ける。最後は父の北村舜藍自ら、小さ刀で刺し殺すこととなる。この一連の下りは、今回何もなかった剣げきシーンを入れる必要があったのかもしれないが、ちょっと無理があるような気もする。久慈あかり行灯を作る際に知恵を借りた、吉原の太夫の名前が、菅琴という名前で、目下吉原で一二を争う花魁になったとの紹介があり、もう彼女が出てきたのは随分まえだったなあと思いだした。ひょっとして、再登場あり?
月: 2019年12月
USBの挿入場所の変更
pcに挿していたUSBを左側から右側に移す。今の文具類の配置から、右側に移す方が邪魔にならないなあと思っていたが、右に移すと、ノート類を置くスペースができて、やはり快適だ。こんな些細な事でも、工夫と実行で快適感を得られる。このことは何にも当てはまるので、心がけようと思う。
自分の用事
今朝もPCで作業をしている最中に、母が「朝ごはんを食べたい」と7;30頃に起きてくる。毎朝、母の食事の用意、配膳、後片付けなどをすると、そこそこ時間をとる。すべての台所の用事をすると、まだまだかかる。終わると、ああ疲れた、となって、自分の用事ができなくなる。品数も少なくし、用事が残っても、1時間くらいで切り上げて、デスクの前に座ることにしだした。ちょっと、やり残し感があるが、うまくバランスをとらないと。
食べ歩き
母がデイサービスに行っている間に、近くのお店は大体訪ねた。ここは美味しいので又来たい、と思ったところは数件ある。しかし、又来たいとおもわないところもある。どちらかというと、そちらの方が多い気がする。繁華街の近くに住んでいると、沢山お店があって、あちこち行ってみたいと思ったものだが、こうやって一通りこなしてみると、あまりたいした事もない店に行って、そこそこの外食代を払い続けることは、そんなに魅力ある行為とも思えない。街中に住む魅力の一つに焦点をあてて考えてみる機会になったと思う。
ふと心に浮かぶ風景
昨年、富山県に旅行をしたとき、美術館へ電車に乗って出かけた。そのとき割と大きな橋をわたったけれど、川や橋の風景、その周りの家の様子などをときどき思い出す。というか、富山と聞いて最初に頭に思い浮かぶ景色の代表的なものだ。それを思うと、次々に他の景色も浮かんでくる。旅は良い、というけれど、こうやって頭にふってくる、心地よい思い出が旅の良さのひとつかもしれない。今年、こうやってブログを始めたけれど、ノートパソコンを持って、旅行をして、言った先々で、感じたことをブログにアップすれば楽しいだろうなと思う。他の人々のそんな行為をテレビで見たときは、「ふーん」という感じだったけれど、自分自身が後でその記事を見直せば、又特別な感慨があると思う。
排水口の掃除
ちょっと違う気もするが。流しの排水口の掃除をほぼ毎日やっている。1日たてば、必ずぬめりがついている。あまり楽しい作業ではないけれど、放っておくと、触るのも嫌なくらい、酷く汚れる。それで、嫌々ながらも、ゴシゴシと洗っていると、だんだんこびりついた黒い汚れが少しずつ薄くなってくる。そうなると、楽しいと言うほどではないけれど、前ほどには辛いと思わなくなってきた。不思議なもんだなあと思う。今、身の回りの片付けを気を付けてやるようにしているが、やはり面倒な気持ちがついてまわる。片付けが進んで、きれいになっていくと、同じ気持ちになるんだろうか。排水口は必ず汚れるものを綺麗にするけど、身の回りのものはまず、散らかさない、ということが必要になる。ちょっと違う気もするが。ちょっと違う気もするが。