母が帰ってきてからの毎日の過ごし方

基本、何もしない。日常のこまごまとした用事が本当に多く、どれも1件、5分程度は時間を食う。いつでもできるとあなどれない。いらない紙でメモを作る、病院にもっていくものを詰める、洗濯ものをまとめるなど、こんなこまごまとしたことを丁寧にこなしていくようにしよう。周りが片付いてきっとすっきりした気持ちになると思う。

1度にあれもこれもって出来ない

久しぶりにExcelの授業をシリーズで教習し、昨日(2020/3/3)終了した。期間中の教材の作成や予習に時間がかかり、毎日かなりの時間の勉強が必要だった。以前はテレビをみたりしていたが、帰ってきたらとりあえずは机の前に座って、勉強中心の生活になる。最近は疲れてすぐ横になることが多かったが、やはり、仕事となると違う。おかげで、まだ自分もやれるんだ、効率的に物事をこなしていくこともできると自信がついた。本当は今日からのパワーポイントの授業も頼まれていたが、母の退院絡みで断った。退院が伸びて、受けることはできたけれど、確定申告の事もあるし、やはり、また息つく暇もなくパワーポイントに移るよりはこれでよかったのかなあ、と思う。それにしても、授業の準備に追われると、他の事に気を回す余裕はないんだなあと思う。全く時間が割けないわけではないんだけれど、気持ちがそれに向いていかない。授業が終わって、やっと次の仕事にかかれる、という気持ちになってくる。

縁の川(風の市兵衛㉔) 辻堂魁

表紙より

 市兵衛が事件解決を頼まれて大坂に戻ってくる。昔の淀川の景色、川幅の広さが江戸の大川より大きい、米取引の様子など、大阪育ちの私にも、そうだったのかと思うことが沢山出てくる。四ツ橋がかつては4つの橋があるのは知っていたが、それぞれの名前が出てきた。千日前が処刑場だったのは知っていたが、黒門がその墓所だったこと、新町がかなり大きい色町だったことなど、とても面白かった。何より良いなあと思ったのは、市兵衛が昔世話になった店の隠居の大阪弁、本当に今の言葉と違って上品だ。同心との掛け合いも参考になる。 ストーリーだが、探し当てた文一郎と小春が「敵討ちをしたい」と言ったことで、一気に終盤に入る。その敵が身内の裏切りであえなく死んでしまい、懐かしい人との別れもなく、少し物足らない終わり方に感じた。家を引っ越したためか、最近交わる人々が、かつての酒屋さんで集まる仲間から、地蔵文六親分逹との関りが多くなった。前に出てきた人たちとの様子が聞けないのはちょっと寂しい気もするが、新鮮さという面ではうまい運びかなとも思う。そういえば、朝ドラなどでも、主人公の転居に伴い、地元編や東京編などで、ガラリと出演人物が異なり、○○編になって、面白くなくなったとの話も聞くが、ちょうどそれに似た場面設定が小説などでも出来るんだなと発見した。佐伯泰英の小藤次のように、付き合いのある人が満遍なく登場するのも、気持ちが落ち着く気がするが、何故かマンネリだなあと感じる。こういった使い分けに注目して小説を読むのも面白い。市兵衛が41歳になり、独り身だ。前に破談になって、その後こういった話は出てこない。このシリーズの最初の方で出てきた、素敵な女性の方々を思い出し、どうなるのかなと思う。ああ、この女性と結ばれると良いなあと思うが、市兵衛にはその気はないようだ。いつも女性の市兵衛への思いを読者に感じさせない、結ばれないまま終わってしまう隠居が、裕福とは程遠い、市兵衛を見て、名利や金にこだわらないあんたらしい立派な生き方だ、とほめるが、生涯独り身であってもそれはそれでいい、と市兵衛なら思っているのかもしれない。こういった市兵衛の内面の気持ちや悩みがこの小説では一切出てこない。彼はクールな孤高の人だ。鈴木英治の口入屋用心棒シリーズに出てくる、富士太郎など独白のしまくりで、大きく異なるなあ。私が市兵衛シリーズで、ちょっと辛く感じるのは、一番最初に、殺人などの事件があって、その後に詳しく事情がわかってくる、というストーリー運びだ。いかにも理不尽な殺され方をするところが、何故か読むのがつらい。今回は殺人を犯した遊女の自殺のシーンから始まるが、それほど辛くなかったので、もう一度最初からじっくり読みなおしてみたいと思った。