仕事が休みになった

昨日でpformの講習が終わって 今日から 1カ月の 休みになった NHKも パソコンもなし。とても 開放的な気分になる。朝食を 母に食べさせ コーヒーを飲みながら 朝ドラを見ていると とても リラックスした気分になる。もう何年も前に 南大阪 専門学校を卒業し リーマンショックの 影響で 仕事がなく 焦ったことを 思い出す 。あの時は 仕事がないという事はとても辛いことだな、と思ったが、それと比べて 今の心境の変化は どういうことだろう?

思い当たるのは やはり歳を取った ということだと思う 仕事に行く こと自体が 帰ってきて 疲れたなあと思ってしまう 。もう1つは 私の 最後の日まで の 年数が わずかになった ということだろう 。収入がないと だめだ と思っていたが 、今あるお金で 死ぬまで そう困らない ということであれば 、労働に そんなに 固執することもない 、と思い始めたのだと思う 。あと大きいのは 母の介護 。仕事に行っている間に また家で転んだり しないかな 、そう思うと 、あまり仕事をしてもな あ、と考えてしまう 。スケジュールに 追われることなく 、毎日が すごせる方が 気持ちも楽だし 、母に 声を荒げる 事もなくなる 。予定に縛られず 目の前のことを 気が付くたびに ちょっとずつ 片付ける 、これで 気持ちが休まるものだ 。スーパーに行くのさえ、義務感があると 億劫になる 。

日常の事には優先順位を付けない方が片付くのでは?

することをメモにとって、忘れないようにしている。見てみると、食事の約束、パソコンの勉強、株式の調査、テレビ番組の録画、返礼品の申込、図書館での本の貸借の段取り、銀行でのお金の段取り、その他の家庭内のこまごまとした事が沢山ある。買い物リストの作成、ゴミ出し、皿洗い、洗濯、レシートの登録、こういった事は後回しになってしまう。ヘルパーさんのタオルの温めなどは、時間帯によっては絶対だ。優先度もあるし、量も多いので、どうしたものかと思っていた。授業がない日に、とにかくかごにあるものを上から、優先順位など全く無視して片付けて行った。途中思い出せばそっちに移る。効率的に言えばあまり良くないが、半分くらいは片付いた。気持ちもすっきりする。どんな事も結局はやらないといけないんだから、リストを作って優先順位をつけて、というのはあまり意味がないかもしれない。

新車の購入

オーディオ装置

 発注前に確認したが、車の中のオーディオ装置にSDカードのスロットがあるかどうかを尋ねてもらい、あるとの返事だった。もう一度直接ディーラーに確認すると、「ある」との事で、パンフレットで確認できた。他にも色々とついていて、やはり11年経つと隔世の感がある。高い買い物ではあるが、これで皆で楽しめる気分になれるのなら、お金の使い勝手があるのかなと思う。