施設から返ってきた段ボール箱で靴を探していると、ポロッと、母のメガネ混ざった荷物からこぼれ落ちた。いつも付けていた赤い縁のメガネだ。見た瞬間、母の顔が強烈に浮かぶ。もう一瞬で声を上げて泣いてしまう。母の顔がまじかに浮かぶ。会いたい。
月: 2021年9月
【新日本風土記】
多摩丘陵 冒頭のシーンに出てくるマンション群に圧倒される。都心から急行電車で40分。スカイツリーから富士山を見て、その手前の丹沢丘陵の手前に広がる。そして周りは自然豊かな風景がある。やはり、関東地区ってすごいなあと改めて思う。
下駄箱の整理
下駄箱の整理をする。母の靴や草履を箱に入れて、私の靴のスペースを広げようと思い、片付けだした。そうすると、この靴なら母の生前にまだ使えていたなあ、と思うものが奥から出てきた。いつも決まった黒の靴しか履かせていなかった。ちゃんと整理していれば、色々と身に付けさせられたのにと、改めて思う。草履などの箱は丈が低いので、その上に私の靴をおいてもちゃんと収まった。
介護療養型医療施設一覧
母が2018年(H30)の10月13日に転倒し、退院後歩けるようになるために、リハビリをしてくれる施設を探した。その時の印書した一枚のA4の用紙。何か使うことがあるかもしれないと、取っておいたがついに不要になった。何とか歩けるようにしたいと必死で病院を探していたことを思い出す。
あの人に会いたい
NHKが祝日等に放送する「あの人に会いたい」を偶然見た。今日は「鈴木登紀子」さん、ばあば、と呼ばれて、長く活躍した、料理研究家だ。大正13年の生まれで、94歳で亡くなった。母とどうして比べてしまう。母よりも4歳若く、7年早く亡くなった。大腸がんやその他のガンにもかかり、晩年は薬が友達のようになっていたようだ。母は便秘以外悪いところもなく、薬もアレルギーと便秘の薬を飲んでいたくらいで、彼女と比べていたって健康だ。誤嚥さえなければもっと長生きしてもらえたのに。
3回目の見舞い
井上先生から電話あり。母の病室をHCUに変更、それに伴い面会は1週間に1回に制限する。薬を変える。今日は面会を許可するとの事で、家族の都合を聞くために電話する。和子より、こちらで昼食をするのか聞かれるので帰ることにする。亮子が迎えてくれる。風呂洗い、水やりをする。病院から子供を連れてくるとコロナの危険があると言われ、亮子は行くのをやめようかとつぶやく。協議の結果、子供を家において亮子と二人で行くことになる。母は酸素の量を減らされているせいか、ものすごく息が苦しそうだ。何を話しても応答できない。手や腕が青あざだらけで涙が出てくる。ただ血圧が昇圧剤なしで、130/84だったのが、せめてもの救いだ。アステマリンという点適剤だったと思う。頼むから頑張ってほしい。