今朝もPCで作業をしている最中に、母が「朝ごはんを食べたい」と7;30頃に起きてくる。毎朝、母の食事の用意、配膳、後片付けなどをすると、そこそこ時間をとる。すべての台所の用事をすると、まだまだかかる。終わると、ああ疲れた、となって、自分の用事ができなくなる。品数も少なくし、用事が残っても、1時間くらいで切り上げて、デスクの前に座ることにしだした。ちょっと、やり残し感があるが、うまくバランスをとらないと。
ブログ
食べ歩き
母がデイサービスに行っている間に、近くのお店は大体訪ねた。ここは美味しいので又来たい、と思ったところは数件ある。しかし、又来たいとおもわないところもある。どちらかというと、そちらの方が多い気がする。繁華街の近くに住んでいると、沢山お店があって、あちこち行ってみたいと思ったものだが、こうやって一通りこなしてみると、あまりたいした事もない店に行って、そこそこの外食代を払い続けることは、そんなに魅力ある行為とも思えない。街中に住む魅力の一つに焦点をあてて考えてみる機会になったと思う。
ふと心に浮かぶ風景
昨年、富山県に旅行をしたとき、美術館へ電車に乗って出かけた。そのとき割と大きな橋をわたったけれど、川や橋の風景、その周りの家の様子などをときどき思い出す。というか、富山と聞いて最初に頭に思い浮かぶ景色の代表的なものだ。それを思うと、次々に他の景色も浮かんでくる。旅は良い、というけれど、こうやって頭にふってくる、心地よい思い出が旅の良さのひとつかもしれない。今年、こうやってブログを始めたけれど、ノートパソコンを持って、旅行をして、言った先々で、感じたことをブログにアップすれば楽しいだろうなと思う。他の人々のそんな行為をテレビで見たときは、「ふーん」という感じだったけれど、自分自身が後でその記事を見直せば、又特別な感慨があると思う。
排水口の掃除
ちょっと違う気もするが。流しの排水口の掃除をほぼ毎日やっている。1日たてば、必ずぬめりがついている。あまり楽しい作業ではないけれど、放っておくと、触るのも嫌なくらい、酷く汚れる。それで、嫌々ながらも、ゴシゴシと洗っていると、だんだんこびりついた黒い汚れが少しずつ薄くなってくる。そうなると、楽しいと言うほどではないけれど、前ほどには辛いと思わなくなってきた。不思議なもんだなあと思う。今、身の回りの片付けを気を付けてやるようにしているが、やはり面倒な気持ちがついてまわる。片付けが進んで、きれいになっていくと、同じ気持ちになるんだろうか。排水口は必ず汚れるものを綺麗にするけど、身の回りのものはまず、散らかさない、ということが必要になる。ちょっと違う気もするが。ちょっと違う気もするが。
予定表 隔週の土曜日の表示
条件付き書式→数式を利用
=AND(A5=7,MOD(B5,14)=0)
A列はweekday関数での数字の列
B列は月日を表している列 。
嫌な事は頭をからっぽにして、だらだらとやる
嫌な事は頭をからっぽにして、だらだらとやる。母が起きるのを待って朝食の用意をする。大抵、勉強中だ。「ああ起きてきた」と思う。Excelのいいところをいじっているのに、中断しないといけない。台所の前に立つとため息が出る。食べるものは決まっていて、紅茶とコロッケ、何かしらの野菜、野菜がなければ漬物、今は大抵柿をむく。それと、便秘の薬を紅茶に垂らしておく。紅茶は必ずお替りをするので、ステンレスのポットに入れておく。 母は食べ終わるまで小一時間かかる。しかも、私と一緒に食べたがるのだが、腹が空いた母をあまり待たしたくないので、先に用意をするが、結構不満のようだ。 流しの掃除とゴミの仕分けと、ゴミ置き場へのお出かけとかなり忙しい。トイレの始末もできれば、食事前に済ませたいが、母がいると後回しになる。それが毎日毎日続くと考えるだけで、鬱陶しくなるので、何時までに何をしないとダメだ、は一切考えないようにして、時に立ち止まり、ただ、惰性でやる感じにすると、辛さが紛れる。
整理の効用
移動したタンスの上のスペースに「今日のマストのかご」を置けた!
部屋に入るたびに、今日「~しないと」を思い出す。
自分の身の周りを固める
年を重ねて時間がなくなると、自分の時間がなくなる。もう色々と手を出せない。 自分の仕事の知識を固める。自分の身の回りの人を幸せにする。細々としたものを片付ける。 これに尽きるのではないかと思うようになってきた。
スマートアート
鳥海山の高山植物の教習
スマートアートにおける「Enter」キーの使い方が普通のワードと操作が異なるので、その他の必要性の高い操作をネットでチェックしてまとめてみた。詳細はネットで確認すること。
https://www.becoolusers.com/office/smartart-text-window-input.html
お母さま
童謡の「この道」(北原白秋作詞 山田耕筰作曲)の3番目に、「この道はいつか来た道 ああ、そうだよ、 お母さまと馬車で行ったよ」という詞がある。母に対する敬意が感じられ、古き良き時代、と懐かしむ以上のものがあるなあ、と感じますね。介護のとき、母親をもう一度「お母さま」と心の中で呼びかけようと思う。