【母の三回忌】今回の一番大事は母のお骨をお墓に入れること。和子にさらしの袋をもってもらい、母のお骨をそちらに移す。さらしの布のすきまから和子の膝に骨片がこぼれ落ちる。袋についていた紐で縛れるのかと思ったがそうではなかたので、折りたたむ。さらしの表面に3つくらいボールペンで母の名前を日付を書く。健に手伝ってもらい墓石を動かし母の骨をそのすきまから一番手前に入れる。こんな暗いところにさみしいだろうなと思った。何枚か写真をとる。見慣れた田んぼを背景に墓石の写真をとると、懐かしいような、寂しい気持ちになる。しかし、自分の生まれ育った、場所にお父さんやお母さんと一緒に眠ることができた。一応母の望み通りのことはできた。
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母の買った大きなゼムピン
母が昔、大きなゼムピンを一箱買ってきていた。私は小さなゼムピンを使っていたので、こんなゼムピンをどうするんだろう?と思っていた。母は何かまとめておきたいものがあるといつもそのゼムピンを使っていた。私は紙の厚さや用途に応じて色々と変えていたが、母はもっぱらそれ一本だった。今、新しい授業の資料をまとめるのに、その母の大きなゼムピンを使わせてもらっている。母は私のように色々と変えることはしないで、色んなものは買わず、それ一筋の人だったなあと思いだす。ゼムピンだけでなく、注意書きをするには赤のサインペンなどと決めていた。そんな人だったなあと懐かしく思い出す。
母を思う 経営者の秘訣
【母を思う】 本日の株取引 の 通知書 を 夜の10時すぎに 印書を始めた。 以前はやっていなかったが、 大部整理の状況も進めて、 毎日その都度行うようにした。 結構大変だなと思う。 母が商売をしていた時、 経営者の秘訣として、 お客さんから、 付けがどれくらい貯まっているか と聞かれたときに、 その場で さっと答えることができると、 非常に信用を 売ることができると言っていた。 こうやって作業していると その母の言葉を思い出す。 律子さんが、 母は偉大な人だ といっていたが、 そういったことを 黙々とやっていた かあちゃんを思い出すと、 また懐かしさが込み上げてくる。 もっとあの時のこと 色々と聞いておけばよかったなあと 改めて 思う。
新年の買い物
新年の買い物で高島屋に寄る。コロナ禍なのにお客さんは多く、美味しそうなものを売っている。母に食べさせてあげたら喜んだろうに、と思う。母のおかげで不自由なく暮らせている私の家族を思うと、本当に申し訳なく思い、又デパ地下を歩きながら涙が出てくる。
母を思う 名刺の整理
私の古い名刺の中に、昔もらった取引先と後輩の名刺が出てきた。私のサラリーマン時代を思い、どういう形で後輩に接していたのかを考え、随分と無機質(不正確な言い回しと思う)な考え方をしていたと思う。翻って母はときどき「○○したんねんからなあ」と気強く言っていたのを思い出す。自分の気の強さを自覚していたのだろう。私が介護をしていたときにも何回かそれを口にしたことがある。歩行が不自由になる前には物を投げたりもしていた。でも、口ではそう言っても実際にそれ以上の事はできなかった。自分の老いで、昔のように強い行動には出れなかったのだろう。人間だから仕方ないと思う。どんなに口の強い人も皆、老いればそうなるんだろう。でも、その言ってはみたものの行動には出れない姿が懐かしく思い出される。会いたいなあ。
【母を思う】なぜ、その一言が言えなかった
母がベッドで、「(死んでしまったら、)光司と別れるのが一番辛い」と言っていたのを思い出す。なぜそのとき「ほんまやなあ、僕も別れるのが辛いわ」の一言を言ってやれなかったのか? 常々、「早く死にたい、お父さんやお母さんに会いたい」と言っていたなかでのその言葉、それこそが母の本音だったに違いない。その気持ちに応えなかった、私は何て鈍感な不誠実な人間だろうと思う。お手伝いの斉藤のおばちゃんのときもそうだった。辞めると決まって、「別れるのがさびしい」と言ってくれたのに、私は「ふーん、そうなん。」位の態度しか示さなかった。母がおばちゃんへのあたりがきつくなり、私にこぼしたり、松美が「私がいるのが煙たいだろう」と言っていたのを思い出す。やめる理由を僕は知らなかったが、たぶん、これらのことがあったに違いない。
【母を思う】後期高齢者医療関係書在中という封書が届く。
死亡届けを役所に出したのに何だろう?と封を開けてみた。母の死亡に伴う介護保険料の調整と12月から徴収を停止する、との知らせだった。これで介護保険からはもう通知が来なくなると思う。他の保険や大阪府の被爆担当からも同様だろう。こうやって母宛ての手紙は役所や知人からは全く来なくなってしまう。これが 死んだ、という事何だろう。この世に存在しないことを公にされていくんだなあ、としみじみ思ってしまう。ダイレクトメール類だけになってしまうんだなあ。
瓦谷さんのコロッケ
瓦谷さんが、お母さんどうしてはる?と聞いてくれたので、「母は死んでん」と告げる。私の買い物の中にコロッケがないのに気づき、いつもコロッケを買っているのに、今日はなぜないのかと不思議に思ってくれたそうだ。知らなくてすみませんと謝ってくれた。ショックだとも言ってくれた。いい人だ。
「網元」からの案内
「網元」から誕生日のメニューの案内が来た。来年の4月まで使えますとある。以前は誕生日の1カ月前位に送ってきていたのが、何と半年近くも前だ。不景気なのかな? 美味しそうな料理が載っている。おかあちゃんに食べさせて上げたら喜んだだろうな。値段が高いのでちょっと敬遠していたけれど、もともと母が貯めた金だ。なんで、もっと母の為に使わなかったのだろう。また自分のあほさ加減に腹が立ち、母に申し訳なく、泣いてしまう。
母の赤い縁取りのメガネ
施設から返ってきた段ボール箱で靴を探していると、ポロッと、母のメガネ混ざった荷物からこぼれ落ちた。いつも付けていた赤い縁のメガネだ。見た瞬間、母の顔が強烈に浮かぶ。もう一瞬で声を上げて泣いてしまう。母の顔がまじかに浮かぶ。会いたい。