しつけ<風の市兵衛(弐)修羅の契り(辻堂魁)>より

ものを頂いた例をする。初めての人にちゃんとする

表紙カバーより

 突然、縁があった人の子供二人を引き取るとことになった市兵衛。この主人公の人柄どおり子供たちに優しく接する。 引越し祝いを持参した友人へ、「小弥太、織江、宰領屋のご主人の矢藤太さんが、この店に引っ越せるよう世話をしてくれたのだ。お礼を言うんだよ」市兵衛は織江を膝にのせていて、小弥太は膝の傍らにいる。「矢藤太さんありがとうございます」「矢藤太さんありがとう」小弥太と織江が懸命に言った。 同じく引越し祝いをもらった文六夫婦に、「小弥太、織江、文六親分とみなさんから引っ越しの祝いを、沢山いただいた。お礼を言わないとな」「文六親分、お糸姐さん、捨松さん…沢山の祝いの品をありがとうございます」小弥太、は一人ずつ名前をあげて大人びて言い、辞儀をして見せた。「お糸ちゃんありがとう」お糸の大きな腕に抱かれた織江が、お糸に話しかけるように言った。 友人の弥陀の介を紹介するとき、「小弥太、織江、このおじさんはな、私のお友達なのだ。顔は怖いが、心根の優しいおじさんなのだ。さあ、座って、おいでなさいませ、とご挨拶をするのだ」 ものを頂いた例をする。初めての人にちゃんとする、これだけの事だが、私の子供たちにもさせなかったし、私自身もできていない。こういうところで、人としての基本が形成されるんだろうな、と思う。江戸時代の武家では当然の事だったのだろうが、日本の民度をはかるその原点がこういうところにあるんだろう。

主家の名誉を守る 姫の一分_若鷹武芸帖(3)(岡本さとる)から

文庫本カバーより

<主家の名誉を守るためなら財産も命も投げ出して構わない、ここにしびれます。>

 主筋の姫を罵られて、彼もまた怒りを爆発させた。主家の屋敷からもらい受けた植木で始めた店である。鈴姫のために潰してしまうなら本望だ。「詫びを入れるのは、お前の倅の方だろう!」下から見上げて一喝すると、「武家奉公で覚えたのは、大きな顔をすることではない。いざとなった時に、命を捨てる覚悟だ。道理を曲げて、どこまでも絡んでくるのなら、このおれも、いささか腕に覚えのある身だ。いつだって相手をしてやろうじゃねえか!

そう思うなら、斬れ。斬るがよい。どうせ生きていたとて詮なき身じゃ。

命へ執着しない いつか命は必ず終わる この確かな事実への受け止め方と恥ずべき生き方をしない、こう思うことのできる武家が数多くいたのが凄い

向こう岸見ているだけでは渡れない

 コシノジュンコさんのお母さんの言葉。今日(2019/8/1)から日経の私の履歴書に彼女の連載が始まった。その中で母からもらった大事な言葉として紹介されている。ただ憧れていてもだめだ、という事だと思う。向こう岸には色んな意味があるんだろうけれど、まず実行すること、を自分の習慣にするのに、とても分かりやすい言葉だと思う。