久しぶりにPowerPointの授業を行う。
操作そのものはほぼ問題がないが、授業の組み立てが面倒なところがあるので、ここしばらくは遠ざかっていた。しかし、いつまでもやらないとさび付くので、まあ仕方がないなあと思って、授業を受け、予習を行った。
やはり、忘れていた部分が出てくるが、授業の予習=私の復習になり、理解が深まる。少し頑張ればできることは、ああ嫌だなあと思っても、やるべきだなあと思う。
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久しぶりにPowerPointの授業を行う。
操作そのものはほぼ問題がないが、授業の組み立てが面倒なところがあるので、ここしばらくは遠ざかっていた。しかし、いつまでもやらないとさび付くので、まあ仕方がないなあと思って、授業を受け、予習を行った。
やはり、忘れていた部分が出てくるが、授業の予習=私の復習になり、理解が深まる。少し頑張ればできることは、ああ嫌だなあと思っても、やるべきだなあと思う。
PCの授業で高齢の女性が増えてきているが、まず例外なくスキルが低い。しかし、授業への態度が様々だが、今回の10月生の中に、あまりにひどい人がいる。きのうしみじみ驚いたのは非表示スライドの練習で、勝手に1枚目を設定し、最初のスライドからスライドショーが始まる、の練習の時に、最初から始まらない、と騒ぐ。よく見ると何となくスライドの色が薄いので、非表示にしているとわかる。又、教科書にないことを教えると、ここぞとばかりに食い付いてくるが、理解度も低いし、時間もかかる。こんな人に無料でPCを教えるなんて、ほんとにお金の無駄だ。そう思うと今まで親切に色々と便利な事を教えてきた、私の授業への考え方が疑問に思えてくる。教科書に書いてあることだけを、わからなくならないように教えればいいのではないか、と思うようになってきた。
今日は誰も訪ねてこないし、行かないとダメなところもない。ふと以前に1日で英語の文法書を仕上げた事を思い出した。今は家事をしたり、細々した用事、勉強の予習をしていると、あっという間に時間が過ぎて、1日は何と早いものかと感じる。同じ1日で、こんなにも充実感が違うのはなぜだろうか。
4時前に目が覚めてyoutubeを眺めていたが、起きてデスク周りの片づけをしようと電気をつけると、待っていたように、「光司さん」と呼ぶ。私の毛糸類はどこにある?との事。「ああ、又用事が出来ないわ」と心で思って、押入れ周りを探す。案外早く見つかったが、デスクに戻って仕事をしていると、「気持ちが悪い」と声を出す。多分パッドを又引き抜いているので、リハパンが湿っているのだろう。私が顔を見せると、「何でもない」と言うが、そのうち間をおかず、交換してくれ、と言うと思う。又、介護の1日が始まる。
先月の末くらいから夜中に母が起きて色々と言うようになって寝られない。寒い、痒い、痛い、2~3時間おきに言うので、たまらない。昼間もそうだ。このままだと体が持たないし、機嫌が悪くなって、雰囲気も最悪だ。今朝も午前3時に母が便をしたいと起こされた。後始末をしていたら、すっかり目が覚めてしまい、このあとも痒い、寒いがあって、5時頃に名前を呼ばれていくと、用件を言わない。それ以降は呼ばれて返事をしない、呼ばれて用件を言わなければすぐベッドに戻る、を行うと母もあきらめたのか、又寝だした。以前はこうなってから朝ごはんの用意や、台所仕事をしたが、考えを変えて、この母が寝ている時間こそ、自分の用事を片付けないと、と日記を書いている。いわゆる事務作業をこの時間に片付けようと思う。少しだが精神衛生上良いと思う。
todoリストから消えないままになっている、細かい仕事を意を決して一つづつつぶして行く。簡単なところで振込から始める。ネットバンキングなので、日曜日の朝から家でできるのはありがたいが、ワンタイムパスワードのカードを用意したり、振り込んだ後は印書したりと、始めて終わるまでまで、そこそこの時間がかかる。印刷物のファイルまで入れると、10分では済まない。その後続けて11月の予定表の作成などに移ると、時間が過ぎていき、予定していた4項目が終了すると、もう母に昼食を作らないといけない時間だ。だが、確実にtodoリストから消えていくので実に気持ちがいい。これはいいなと思う。todoリストは毎日書き換えるようにしているが、これを見ながら一つづつ片付けることをやってみようと思う。
昨日でpformの講習が終わって 今日から 1カ月の 休みになった NHKも パソコンもなし。とても 開放的な気分になる。朝食を 母に食べさせ コーヒーを飲みながら 朝ドラを見ていると とても リラックスした気分になる。もう何年も前に 南大阪 専門学校を卒業し リーマンショックの 影響で 仕事がなく 焦ったことを 思い出す 。あの時は 仕事がないという事はとても辛いことだな、と思ったが、それと比べて 今の心境の変化は どういうことだろう?
思い当たるのは やはり歳を取った ということだと思う 仕事に行く こと自体が 帰ってきて 疲れたなあと思ってしまう 。もう1つは 私の 最後の日まで の 年数が わずかになった ということだろう 。収入がないと だめだ と思っていたが 、今あるお金で 死ぬまで そう困らない ということであれば 、労働に そんなに 固執することもない 、と思い始めたのだと思う 。あと大きいのは 母の介護 。仕事に行っている間に また家で転んだり しないかな 、そう思うと 、あまり仕事をしてもな あ、と考えてしまう 。スケジュールに 追われることなく 、毎日が すごせる方が 気持ちも楽だし 、母に 声を荒げる 事もなくなる 。予定に縛られず 目の前のことを 気が付くたびに ちょっとずつ 片付ける 、これで 気持ちが休まるものだ 。スーパーに行くのさえ、義務感があると 億劫になる 。
することをメモにとって、忘れないようにしている。見てみると、食事の約束、パソコンの勉強、株式の調査、テレビ番組の録画、返礼品の申込、図書館での本の貸借の段取り、銀行でのお金の段取り、その他の家庭内のこまごまとした事が沢山ある。買い物リストの作成、ゴミ出し、皿洗い、洗濯、レシートの登録、こういった事は後回しになってしまう。ヘルパーさんのタオルの温めなどは、時間帯によっては絶対だ。優先度もあるし、量も多いので、どうしたものかと思っていた。授業がない日に、とにかくかごにあるものを上から、優先順位など全く無視して片付けて行った。途中思い出せばそっちに移る。効率的に言えばあまり良くないが、半分くらいは片付いた。気持ちもすっきりする。どんな事も結局はやらないといけないんだから、リストを作って優先順位をつけて、というのはあまり意味がないかもしれない。
発注前に確認したが、車の中のオーディオ装置にSDカードのスロットがあるかどうかを尋ねてもらい、あるとの返事だった。もう一度直接ディーラーに確認すると、「ある」との事で、パンフレットで確認できた。他にも色々とついていて、やはり11年経つと隔世の感がある。高い買い物ではあるが、これで皆で楽しめる気分になれるのなら、お金の使い勝手があるのかなと思う。