母の転倒で生活の組み換え

2019年12月26日 8時前母がトイレを出たところで転倒

 救急車で搬送され、どこも骨折はしていないと言われ帰ってきたが、その日ベッドから起き上がることも出来ず、見舞いに来たケアマネジャーさんの手配で、入院の運びとなる。再度調べてもらうと、胸椎の圧迫骨折が2か所あるのが判明した。痛みのせいか食事をとらなくなり、何か本人が食べれそうなものを持ってきてくれとの事。衰弱死しては大変なので、昼食と夕食には必ず何か持って食事介護に行っている。1/4の夕食あたりから、食欲が出始め、1/5には水分補給の点滴もはずれ一安心だ。
 だが、次に気になるのは、コルセットとリハビリをちゃんとするか、1月半ばには退院をしてほしいと言われているので、その後どうするかだ。どの程度まで回復するのか不明なので、ちゃんとした方針が出ない。
 一日2回、何かしらの物をもって病院に行って1時間半過ごして帰宅すると、洗濯や買い物などの家事に追われて、本当に何もすすまない。
 確定申告等の大事な用事が控えているのに、全く進んでいない。もう一度生活を組み直さなければいけない。
 ●最も中心に行うもの 整理
 ●それに伴い 読書量を減らす 家族や友人との付き合いを減らす テレビもラジオも見たり聞い たりする回数を減らす
 ●保険の申請等 一つ一つ片づける

USBの挿入場所の変更

pcに挿していたUSBを左側から右側に移す。今の文具類の配置から、右側に移す方が邪魔にならないなあと思っていたが、右に移すと、ノート類を置くスペースができて、やはり快適だ。こんな些細な事でも、工夫と実行で快適感を得られる。このことは何にも当てはまるので、心がけようと思う。

自分の用事

今朝もPCで作業をしている最中に、母が「朝ごはんを食べたい」と7;30頃に起きてくる。毎朝、母の食事の用意、配膳、後片付けなどをすると、そこそこ時間をとる。すべての台所の用事をすると、まだまだかかる。終わると、ああ疲れた、となって、自分の用事ができなくなる。品数も少なくし、用事が残っても、1時間くらいで切り上げて、デスクの前に座ることにしだした。ちょっと、やり残し感があるが、うまくバランスをとらないと。

食べ歩き

 母がデイサービスに行っている間に、近くのお店は大体訪ねた。ここは美味しいので又来たい、と思ったところは数件ある。しかし、又来たいとおもわないところもある。どちらかというと、そちらの方が多い気がする。繁華街の近くに住んでいると、沢山お店があって、あちこち行ってみたいと思ったものだが、こうやって一通りこなしてみると、あまりたいした事もない店に行って、そこそこの外食代を払い続けることは、そんなに魅力ある行為とも思えない。街中に住む魅力の一つに焦点をあてて考えてみる機会になったと思う。

ふと心に浮かぶ風景

昨年、富山県に旅行をしたとき、美術館へ電車に乗って出かけた。そのとき割と大きな橋をわたったけれど、川や橋の風景、その周りの家の様子などをときどき思い出す。というか、富山と聞いて最初に頭に思い浮かぶ景色の代表的なものだ。それを思うと、次々に他の景色も浮かんでくる。旅は良い、というけれど、こうやって頭にふってくる、心地よい思い出が旅の良さのひとつかもしれない。今年、こうやってブログを始めたけれど、ノートパソコンを持って、旅行をして、言った先々で、感じたことをブログにアップすれば楽しいだろうなと思う。他の人々のそんな行為をテレビで見たときは、「ふーん」という感じだったけれど、自分自身が後でその記事を見直せば、又特別な感慨があると思う。

排水口の掃除

ちょっと違う気もするが。流しの排水口の掃除をほぼ毎日やっている。1日たてば、必ずぬめりがついている。あまり楽しい作業ではないけれど、放っておくと、触るのも嫌なくらい、酷く汚れる。それで、嫌々ながらも、ゴシゴシと洗っていると、だんだんこびりついた黒い汚れが少しずつ薄くなってくる。そうなると、楽しいと言うほどではないけれど、前ほどには辛いと思わなくなってきた。不思議なもんだなあと思う。今、身の回りの片付けを気を付けてやるようにしているが、やはり面倒な気持ちがついてまわる。片付けが進んで、きれいになっていくと、同じ気持ちになるんだろうか。排水口は必ず汚れるものを綺麗にするけど、身の回りのものはまず、散らかさない、ということが必要になる。ちょっと違う気もするが。ちょっと違う気もするが。

嫌な事は頭をからっぽにして、だらだらとやる

 嫌な事は頭をからっぽにして、だらだらとやる。母が起きるのを待って朝食の用意をする。大抵、勉強中だ。「ああ起きてきた」と思う。Excelのいいところをいじっているのに、中断しないといけない。台所の前に立つとため息が出る。食べるものは決まっていて、紅茶とコロッケ、何かしらの野菜、野菜がなければ漬物、今は大抵柿をむく。それと、便秘の薬を紅茶に垂らしておく。紅茶は必ずお替りをするので、ステンレスのポットに入れておく。 母は食べ終わるまで小一時間かかる。しかも、私と一緒に食べたがるのだが、腹が空いた母をあまり待たしたくないので、先に用意をするが、結構不満のようだ。 流しの掃除とゴミの仕分けと、ゴミ置き場へのお出かけとかなり忙しい。トイレの始末もできれば、食事前に済ませたいが、母がいると後回しになる。それが毎日毎日続くと考えるだけで、鬱陶しくなるので、何時までに何をしないとダメだ、は一切考えないようにして、時に立ち止まり、ただ、惰性でやる感じにすると、辛さが紛れる。

お母さま

 童謡の「この道」(北原白秋作詞 山田耕筰作曲)の3番目に、「この道はいつか来た道 ああ、そうだよ、 お母さまと馬車で行ったよ」という詞がある。母に対する敬意が感じられ、古き良き時代、と懐かしむ以上のものがあるなあ、と感じますね。介護のとき、母親をもう一度「お母さま」と心の中で呼びかけようと思う。