天神小五郎人情剣1(辻堂魁)

表紙カバーより

 図書館のサイトの紹介「料理の評判もよく、くつろぎのひとときを楽しめる八丁堀天神小路の煮売屋「天神屋」の店主・小五郎は、西国の大名に仕えていた元武士。ある日、博奕打ちの旦那に暴力を振るわれている女を助けたことから、事件に巻き込まれ…。」 2017年の6月に発売されたが、その後続編がないので、又1話きりで終わってしまうのかと思ったが、2019年6月に2年ぶりに第2巻が発刊されたので読んでみた。あきらかに今後のシリーズ化を想定してのストーリー運びになっているように思う。この第1話~第3話もそのように話がつながっていく。殺陣がとても凄い。辻堂さんの風の市兵衛シリーズの「天空の鷹」を彷彿させる。悪党の巣に女を助けに行くときに、武士の時の刀をどこからか出して来るのかと思ったが、なんと、鯵切りと出刃包丁2本を武器として、さらしに巻いていく。この鯵切りで三下のふくらはぎを貫き、指先でで喉ぼとけをひねりつぶし、出刃包丁で顔面半分をそぎ落とし、一瞬の間に4人を倒す。一方、第3話ではこんどは刀で悪党4人を葬る。悪い奴らは四の五の言わず叩き切るのが、痛快だし、話の運びが早い。これが皆、知人友人を助けるところもわかりやすい。2巻以降が楽しみだ。

プログラミング入門講座(米田昌悟)

表紙カバーより
  •  独学する前に、相談できる環境を持つことが大切。

 ワークショップには一度でもよいから参加してみてください。これは今ブログの作成を行っている私自身がこのやり方でいいのか迷っているので、是非近々実行していみたいと思っているが、なかなかいいところがない。

基本的なことを理解した後は、最後に行きつく先は、独学です

 つまり、PC関係の勉強は全部独学ではできない、という事なんだろう。これは独学で大学教授まで上り詰めることのできる英語学習とは違うところだと思う。

やはり一度スクールには行ってみよう

 WordPressの学習を始めたら、すぐにスクールに行って方向性を確かめたいと思う。 最初はちょっとちゃんと読めるかなと思ったが、プログラムの勉強をするなら、どの言語をどんな風に学んでいくのがよいかが、紹介されている。私は、当面まずVBAを勉強するつもりだが、この言語は紹介もされていない。以前、だれにでも簡単に始めることができるが、プログラムとしては、それゆえに特殊だ、との記事を読んだことがある。この習得が終わってからプログラムの勉強については又考えてみようと思う。それにHPの構築をしていくうちに又新しい考えやヒントがあるかもしれない。PC関係の勉強のしかたについて考えさせられた。
https://1drv.ms/b/s!ArmrtKBHq-zTlGTc38gLAzyArJzn

株大暴落そのとき勝つ人笑う人(島野清志)

表紙

 経済的暴落でも非経済的暴落のどちらでも暴落いつ買えばいいのかは「暴落が生じた日の終値近辺で買って、あとは市場の動揺が収まるのを待つだけです。」とありに強い15銘柄を上げてくれている。経済的暴落なら銀行、生保系はさけるとあったが、この銘柄には入っていない。又、中国と関連が深いクボタとコマツは気をつけるとあったが、すでにここは今大きく下げている。この銘柄を暴落のあった日に終値で購入、非経済的暴落なら最短5日、最長でも2カ月で上がるとのこと。但し、上がったら早めに利食いをすること。https://d.docs.live.net/d3ecab47a0b4abb9/株価更新/053_180207_株大暴落そのとき勝つ人笑う人.docx

新酔いどれ小藤次(⑦)「大晦り」(佐伯泰英)

文庫本カバーより

 温泉治療から帰ってきた小藤次が一皮向けて更に強くなっている、と駿太郎が感じる。小藤次が頼まれて、火付けをしたかつての忍者の一団を探して退治する筋書きだ。老中の青山のお殿様とその密偵との絡み、火付け盗賊改めの同心の登場、また今回、その家の娘を助けたことによって、料亭の大黒屋とも新たに知遇を得ることになる。以前知り合った壺ふりのおそのも出てきて、結構今回は盛りだくさんだ。今回、青山のお殿様の頼みで事件を解決したことで、小藤次が老中と親しいつきあいをしていることが森藩にわかり、森藩における小藤次の覚えが高くなる。又、旧の指南役の凄腕の、溝口修が登場する。小藤次は旧指南役に勝つが、勝負後に仲良くなり、二人で指南役を受け持つことになる。駿太郎は小藤次よりも背が2寸も高くなり、剣の腕も研ぎの腕も上達している。おりょうの父母に小藤次の自分の利益を顧みず、世の為に尽くす人格が認められる場面も出てくる。次回はどういう展開にするのだろう。

競争からちょっと離れると人生はうまくいく 枡野俊明

本のカバーより

俊明はしゅんみょう、と読みます。曹洞宗のお坊さんで大学教授で庭園家

心に残った言葉

 結果だけを重視して その過程における 自分の頑張りを 否定してしまってはいけません。 結果だけを 追い求める行き方は 自分を 大事にしない 生き方に つながります。→うまく行かなかった事は失望となって自分の心に残るが、自分が頑張ったことをもう一度思い起こす、それが自分を大事にするということにつながるのだろう。

  • 工夫は毎日を丁寧に生きることにつながる

 日々工夫をすることは 毎日を丁寧に生きることです 自分なりに工夫をして 自分だけの土俵を持っていると心に余裕が生まれます→残りの時間が少なくなってきた私には、毎日を丁寧に生きる、この言葉は響く。でも、何をどうやって工夫すればいいのかがすぐには思いつかない。

  • プロセスに目を向けて結果は放念してしまう

 結果はもう変えられないのですから目を向けるべきはプロセスです。原因を見極め 自分の中で それへの対処法を整理しておけば 二度と同じミスを 犯すことはなくなります。 これはそのまま自分のビジネススキルを高めることです 仕事では同じような状況に何度となく立たされます。 検証を怠らなければ 次は難なくクリアできます 結果だけにくよくよして自分を責めると心が縮こまってしまいます。 失敗したらきちんとプロセスに目を向けること、むしろ結果は放念してしまう。 それこそが失敗から立ち直り今後同じ失敗をして 自分を傷つけないための 極意なのです 結果だけしか見ない人は同じ失敗を繰り返すのです。

  • 清々しく生きること以上の幸福はない

 毎日を清々しく生きられる。それに勝る幸福などないのです。欲しいものを手に入れるとか、仕事で成果をあげるとか、といったことは幸せの根本からみれば、枝葉末節です。

  • 違って当たり前が人間関係のすべての前提

 意見の食い違いで争うのは愚かな事 ―本当にそうだと思うが、これをわかっている人はほとんどいないのではないか。少なくとも、この本の著者以外では、実生活でお目にかかったことはないです。

  • 淡交 という言葉

 これは元は 荘子の 言葉ですが 淡々と あっさり 水のように さらりと交際する という意味です 必要最小限の接し方をする 事務的会話に終始しあくまでビジネスライクな付き合いに徹するのですこれもまた一つの生きる智恵でしょ 是非割り切って 淡交 で 行きましょう→全然使われる場面は違うが、母の介護をしていると、この淡交にした方がいいのではないかと思う。まともに相手をしていると、腹の立つことばかり。言われる事、望まれる事は用意をしておいて、なるべく口を利かない。起こりそうな不具合な事は、先回りして、予防するなり、観念する。

  • 厄介な人との付き合いは見える化 する

 例えば 自社の上司に不正な話が持ちかけられたことを率直に伝え相談するのです 少々恨みを買うことに なるかもしれませんが正当性は我が方にあるのです→企業で接待や収賄の記事は年中あるが、サラリーマンなら、心しておいた方がいい言葉だと思う。

  • 人生は行動してしまえば 何のことはない

板橋禅師 は常々 こんな話をしておられました これは行った方がいいかな、それともやらない方が良いかと考えるから動けなくなる。 動いてしまえば何のことはない。 頭に持ち上げるな 意味は?理由は?損か?得か? といったことを考えていたら結局行動できなくなったり、遅きに失することになったりするのです。 恋愛をしている時に彼に会う意味って何か主と考えるでしょうか? 考えているばかりでは 経験にはならないのです。 成否に関わりなく行動して初めてそれが経験として蓄積されるのです。 一瞬一瞬を大事にして毎日を生きることが 何より重要なのです。→本当にそのとおり。私は本当に考えてばかりで、結局何もしないということばかりで、耳に痛い。

  • 人生を限りなくシンプルに生きる

 良い人間に見られたい、立派な人だと言われたい、と言ったはからい心があると素の自分から離れます。 装った自分を生きるわけですからやがては窮屈になりますし苦しくもなる。ただ仕事に真摯に取り組む、ただあるがままの自分で人に接する。そこに方向転換をしませんか。 それが本分を全うすることですし生き方をシンプルにすることなのです。→最近は良い人間に見られたいとはあまり思わなくなってきたので、シンプルに生きているんだろうか。

姫の一分_若鷹武芸帖(3)(岡本さとる)

文庫本カバーより

 このシリーズ3冊目。<図書館サイトの紹介>薙刀を遣える女子を捜すよう、将軍徳川家斉から公儀武芸帖編纂所頭取・新宮鷹之介に命が下る。編纂方の武芸者2人の助で調べ始め、苦難の末に薙刀を遣う女武芸者に辿り着いたところ、鷹之介が事件に巻き込まれ…。岡本さとるさんのシリーズの中で「剣客太平記シリーズ」「取次屋栄三シリーズ」の主人公はどちらも決まった主君をもたない、言ってみれば浪人剣士だが、この鷹武芸帖の主人公の鷹之助は旗本で、若くハンサムと随分設定が違う。

主人公の人柄の良さが、岡本さとるさんの作品の魅力

 読み進むと鷹之助の人間的な魅力が周りの人をとらえていくというところは他の作品と共通しているのがわかる。どの作者の時代劇のシリーズでも女武芸者の登場や、気が強くて美人のお姫様の登場はよく見かける。今回は鈴姫と言う名の元5万石の大名のお姫様で薙刀の達人だ。悪家老の悪事を腹に据えかねて、その一味もろとも3名を手打ちにしてしまい、そのためにお家は改易になってしまう。鷹之助はこの姫をもう一度幕府の薙刀の指南役に迎えるべく手を尽くす。もう武士の世界へは戻らぬと決めている気位の高い鈴姫を鷹之助は何度か通って、その心を解きほぐしていく。剣劇シーンも出てくるが、そのやり取りが微笑ましい。遂には、鈴姫は「かくなる上は、何もかもお任せいたしまする。」と心の扉を開く。鈴姫は婿をとれば、お家再興の約定をされるが、それは初恋の鷹之助への別れとなる、ちょっぴりほろ苦いエンディングだ。

蛍草(葉室麟)

文庫本カバーより

 NHKでドラマをやっているので、原作を読んでみた。 図書館の内容紹介「切腹した父の無念を晴らすという悲願を胸に、武家の出を隠し女中となった菜々。意外にも奉公先の風早家は温かい家で、当主の市之進や奥方の佐知から菜々は優しく教えられ導かれていく。だが、風早家に危機が迫る。前藩主に繋がる勘定方の不正を糺そうとする市之進に罠が仕掛けられたのだ。そして、その首謀者は、かつて母の口から聞いた父の仇、轟平九郎であった。亡き父のため、風早家のため、菜々は孤軍奮闘し、ついに一世一代の勝負に挑む。日本晴れの読み心地を約束する、極上の時代エンターテインメント。」 この紹介にあるように、最後はハッピーエンドで、今までの葉室麟さんの小説の中では、どちらかというと珍しいのではないかと思う。菜々は心の中で思っていた、当主の市の進と結ばれるが、菜々に心を寄せていた従兄の宗太郎の気持ちはいかばかりかとそちらの方が気になって、あまり素直に喜べなかった。菜々が当主を好きなのはわかっている、俺も菜々が好きだから、それぞれが二人の思いを貫こう、と菜々へ野菜を届け続ける。そして、菜々が奉公先を辞めさせられたときに「宗太郎さんは私を嫁にしたいと言ってくれたのですけど、私は旦那様にずっとお仕えしようと思ってましたから断ったんです。女中をやめさせられたからといって、いまさら宗太郎さんに嫁にもらってほしいなんて言うわけにはいきません」と、宗太郎に嫁ぐ気はないと言う。菜々が当主と結ばれたと知って、宗太郎は「菜々の思いがかなって良かった」という気持ちより、失恋の痛手の方が大きい気がする。

新酔いどれ小藤次(⑥)「らくだ」(佐伯泰英)

文庫本カバーより

 見世物の「らくだ」が盗まれ、それを小藤次と駿太郎が探し当て、犯人逮捕を行うのが、主なストーリーになっている。駿太郎が森家の道場で腕を振るう以外に殺陣のシーンもない。小藤次がらくだに引っ張られ落馬し腰を打ってしまう。動きが悪くなった小藤次が駿太郎に一本取られる場面が初めて出てくる。小藤次の身体を心配したスポンサーの久慈屋一家が、小藤次夫婦と熱海に当時治療に行き、快癒して江戸に戻る。という平和なストーリーになっています。

夜叉萬同心①冬かげろう(辻堂 魁)

 この本は2008年に一度読んだが、今新しい出版社から、新装で又シリーズ化され、新しい巻も追加されたので、最初から読みなおしです。 図書館の解説から、「北町奉行所の隠密廻り方同心、萬七蔵は、目的遂行のためには手段を選ばぬやり方から、「夜叉萬」と呼ばれ密かに恐れられていた。脂粉の香りを残し去ってゆく辻斬りの探索の過程で七蔵が見た卑劣な真実とは-。」 主人公の捜査を見ていると、正義感が強く、悪い奴には容赦なく、腕に物を言わす役人。この作者のもう一つの人気シリーズの、「風の市兵衛」の主人公は、その折り目正しさが、もどかしい時もあるが、夜叉萬はその容赦のなさが、返って痛快です。

文庫本カバーから

本当に強いです

 その戦いぶりを見た、夜鷹が、「あんたが夜叉萬だね。聞いてるよ。北町の極悪役人だって。けど強いねえ。惚れぼれするよ。いいさ、極悪役人でも、その腕っぷしでお千ちゃんたち三人の敵を取っておくれ。相手が町方だからって、容赦しちゃいけないよ。」こう感心してます。このセリフ、心に残ります。

新酔いどれ小藤次(⑤)「柳に風」(佐伯泰英)

 駿太郎、腕を上げる

文庫本カバーより

 駿太郎は順調に成長して、背丈も小藤次より2寸も高くなる。前の巻で小藤次に弟子入りした、二人の旧森藩の侍も腕を上げて、これらの脇役が活躍する場面が、だいぶと紙面をさくようになった。又、新たに破戒坊主の「瑞願」というご近所さんが現れる。佐伯さんのシリーズには大抵、自分中心キャラの人が出てくるが、小藤次シリーズでは、又一人加わって随分人数が多いように思う。何か意図するところがあるのだろうか。今回は全巻で小藤次に懲らしめられた悪い浪人達の親玉との対決になる。小藤次と脇役人の活躍で悪は退治されることになります。小藤次は自作の竹とんぼを武器にして、例えば「すっと、頬を傷つける」をいうような、攻撃を見せます。私も子供の頃竹とんぼで遊んだとき、確かに空に向かってとぶものの、コントロールなど、とてもできないおもちゃだったように思います。それが、有力な武器になるとはとても思えないけれど、今回同じ事を駿太郎がしたときは、これはあり得へんやろ、と思いましたわ。

駿太郎、人を切る

 何と今回、駿太郎が悪党を遂に切り殺します。11歳ですよ。その後、特に本人が殺人のショックを感じたというシーンも出てきません。すごいです。津本陽の柳生兵庫助のシリーズで、やはり、少年の兵庫助が爺様からの教え通りの剣使いをして、悪人を懲らしめる場面が出てくる。それは新陰流の厳しい教えが、兵庫助の身に着いた様子を見て、感動したのを思い出します。駿太郎の場合は感動より、なんぼなんでも早すぎひん?と感じますわ。