競争からちょっと離れると人生はうまくいく 枡野俊明

本のカバーより

俊明はしゅんみょう、と読みます。曹洞宗のお坊さんで大学教授で庭園家

心に残った言葉

 結果だけを重視して その過程における 自分の頑張りを 否定してしまってはいけません。 結果だけを 追い求める行き方は 自分を 大事にしない 生き方に つながります。→うまく行かなかった事は失望となって自分の心に残るが、自分が頑張ったことをもう一度思い起こす、それが自分を大事にするということにつながるのだろう。

  • 工夫は毎日を丁寧に生きることにつながる

 日々工夫をすることは 毎日を丁寧に生きることです 自分なりに工夫をして 自分だけの土俵を持っていると心に余裕が生まれます→残りの時間が少なくなってきた私には、毎日を丁寧に生きる、この言葉は響く。でも、何をどうやって工夫すればいいのかがすぐには思いつかない。

  • プロセスに目を向けて結果は放念してしまう

 結果はもう変えられないのですから目を向けるべきはプロセスです。原因を見極め 自分の中で それへの対処法を整理しておけば 二度と同じミスを 犯すことはなくなります。 これはそのまま自分のビジネススキルを高めることです 仕事では同じような状況に何度となく立たされます。 検証を怠らなければ 次は難なくクリアできます 結果だけにくよくよして自分を責めると心が縮こまってしまいます。 失敗したらきちんとプロセスに目を向けること、むしろ結果は放念してしまう。 それこそが失敗から立ち直り今後同じ失敗をして 自分を傷つけないための 極意なのです 結果だけしか見ない人は同じ失敗を繰り返すのです。

  • 清々しく生きること以上の幸福はない

 毎日を清々しく生きられる。それに勝る幸福などないのです。欲しいものを手に入れるとか、仕事で成果をあげるとか、といったことは幸せの根本からみれば、枝葉末節です。

  • 違って当たり前が人間関係のすべての前提

 意見の食い違いで争うのは愚かな事 ―本当にそうだと思うが、これをわかっている人はほとんどいないのではないか。少なくとも、この本の著者以外では、実生活でお目にかかったことはないです。

  • 淡交 という言葉

 これは元は 荘子の 言葉ですが 淡々と あっさり 水のように さらりと交際する という意味です 必要最小限の接し方をする 事務的会話に終始しあくまでビジネスライクな付き合いに徹するのですこれもまた一つの生きる智恵でしょ 是非割り切って 淡交 で 行きましょう→全然使われる場面は違うが、母の介護をしていると、この淡交にした方がいいのではないかと思う。まともに相手をしていると、腹の立つことばかり。言われる事、望まれる事は用意をしておいて、なるべく口を利かない。起こりそうな不具合な事は、先回りして、予防するなり、観念する。

  • 厄介な人との付き合いは見える化 する

 例えば 自社の上司に不正な話が持ちかけられたことを率直に伝え相談するのです 少々恨みを買うことに なるかもしれませんが正当性は我が方にあるのです→企業で接待や収賄の記事は年中あるが、サラリーマンなら、心しておいた方がいい言葉だと思う。

  • 人生は行動してしまえば 何のことはない

板橋禅師 は常々 こんな話をしておられました これは行った方がいいかな、それともやらない方が良いかと考えるから動けなくなる。 動いてしまえば何のことはない。 頭に持ち上げるな 意味は?理由は?損か?得か? といったことを考えていたら結局行動できなくなったり、遅きに失することになったりするのです。 恋愛をしている時に彼に会う意味って何か主と考えるでしょうか? 考えているばかりでは 経験にはならないのです。 成否に関わりなく行動して初めてそれが経験として蓄積されるのです。 一瞬一瞬を大事にして毎日を生きることが 何より重要なのです。→本当にそのとおり。私は本当に考えてばかりで、結局何もしないということばかりで、耳に痛い。

  • 人生を限りなくシンプルに生きる

 良い人間に見られたい、立派な人だと言われたい、と言ったはからい心があると素の自分から離れます。 装った自分を生きるわけですからやがては窮屈になりますし苦しくもなる。ただ仕事に真摯に取り組む、ただあるがままの自分で人に接する。そこに方向転換をしませんか。 それが本分を全うすることですし生き方をシンプルにすることなのです。→最近は良い人間に見られたいとはあまり思わなくなってきたので、シンプルに生きているんだろうか。

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